多様な振る舞いをする「細菌」と「人間」の類似性
生物研究で細菌を扱う場合、ひとつひとつ(一個一個)の細菌を相手にすることはほとんどない。フラスコや試験管で培養された、大量の細菌集団を相手にするのが通常のやり方だ。
そのような研究では、一個一個(ひとつひとつ)の細菌の個性は無視され、集団の平均的振る舞いのみが考察の対象となる。
抗生物質などの強い毒を与え、細菌を大量に殺してきた生物学者であっても、その集団の中で個々の細菌がどのように死んでいるのか、日々の研究でその現場を具体的にイメージできる研究者(学者)はそう多くないだろう。
細菌にも個性があるのだ。
しかもその個性には、遺伝情報によらないものも多くある。言い換えると、染色体上に同じDNA配列を持つ細菌同士を同じ環境に置いたとしても、その振る舞いや性質には差が生じうる。
このような個性のことを、「非遺伝的個性(Non-genetic individuality)」と言ったりする。これは一細胞レベルの観察をすれば、あらゆる場面で遭遇する現象だ。
非遺伝的個性の重要性が特に強く意識されるのは、対象となる細菌の生存が脅かされる場面である。
例えば、同じ遺伝情報をもつ細菌集団(「クローン」と呼ぶ)に抗生物質を与えると、すぐに死ぬものと、長い間生き続けるものが観察される。
生き残った細菌は、抗生物質がなくなると、再び子孫を増やし種をつなぐ。
生き残った細菌は、元の集団の中ではアウトサイダーであったに違いない。そのようなアウトサイダーを生み出すことが、集団としての生存に有利であることは、教訓的である。
結果的に死んでしまう細胞(間?)でも、その振る舞いは多様である。じっと静かにストレスに耐え、できるだけ生き長らえようとするものもいれば、積極的に成長し、何とか子孫を増やそうとするものもいる。
さらには、生きているのか死んでいるのか、よく分からない細菌に出くわすこともある。つまり、成長も分裂もせず、環境が良くなっても増殖せず、しかし細胞膜の健全性などは保たれ、様々な観点から、「生きている」と判断せざるをえないものだ。
このような菌に出くわすと、たとえ細胞であっても、その生死判定は難しいことが理解できる。
そもそも、物質としての構成にはほとんど差がない。生きている細胞の状態と死んでいる細胞の状態の差を、どのように特徴付ければよいのか? これは、生物学の究極の問いなのだ。