私達を動かす微生物

滋賀県にある菌(くさびら)神社を詣でてから、身の回りの様々な変化を体験している。採集してきた土壌菌たちが、色々と訴えてきている感じを受けるのだ。

Mother bioも、生菌群で保管している倉庫内でざわつきを感じる。たまに話しかけたりすると何やらおかしな光景になるので、常に意識で話すようにしてきた習性から、菌の存在が気になって仕方がない。

動物には言葉は無いが、お互いの意思は必ず通じ合う。
微生物たちの意思も本来ヒトは理解できたはずで、単的にヒト本来の能力が落ちているだけなのではないかと思う。

だとすれば、ヒトにとって言葉は意思を伝えるためのものではなく、もっと高度な使い方のためにあるのではないか。文字もそうかもしれない。
自分の意思や欲を伝えるために言葉や文字を使うから、ヒトは間違ってしまうのではないか。

では、何のために言葉や文字が多く使われてきたのかは、歴史を見れば明らかだ。

菌神社や、その他の多くの神社の御神体の正体は、様々な奇跡や不思議、様々な恩恵をもたらす微生物たちだと想像すると、話は長くなるのでここでは割愛するが、自然崇拝の先にあるこの摩訶不思議な力は、現代において少しずつ解明され、腸内細菌や皮膚常在菌等、様々な微生物、そして微生物たちが創りあげる様々な食品や薬等の存在なしには、私たちは生きていけないのは明らかで確かなことだ。

私たちは、自らの細胞の数より遥かに多い微生物たちの意思により生かされている。
誰かを愛すること、愛されること。病気になったり、やる気を出したり、今日何を食べたいかまで、私たちは彼らの意思に従って食事を運び、感情や、思考をつくっている。
この広い世界で、私たちは運命の人と出逢い男女が結ばれ子孫を残す。
この出逢いを決定付けているのは、私たちが持つ微生物たちの情報処理能力と彼らの意思としたなら、宇宙の見方すら大きく変わる。

すべてのものに核があり、原子の中心に核があり、その周りを電子が回って原子ができる。太陽が核で、太陽の周りを地球が回って、一つのものができる。

同様に細胞の中心に核があり、その中には遺伝子が詰め込まれ、私たちの生命の源の物語や、御先祖様たちの記憶が入っている。私たちの細胞の数より多く存在する微生物たちも、同様に核を持ち細胞を創る。

私たちは彼らの意思を実現するためにエネルギーの源を運び、彼らが高性能なガソリンに変換し、まるで車のように運転をしてドライブをするのだ。
必要な機器(臓器)の修復メンテナンスなどをしながら、40億年ほどの旅をしていると思うと、その記憶の映像が見たいと思うのは自然なことでないだろうか。

皆、太陽は明るく暖かいと思っているが、太陽と地球の間の宇宙空間は真っ暗で冷たい。太陽は地球に向けて波動を与えているだけで、地球の空気に当たることで、反射し明るい光と熱を出す。

地球上の生き物は、その反射を真正面に受け取れるようにできているはずだが、中には乱反射するものが多くある。乱反射すると様々な物が見えてしまって本当の光の姿は見えない。
本来の姿を見ることや声が聞こえないどころか、その恩恵すら受け取ることができない。

それはまるで、現代の私たちの姿そのものでないのか。
私たちは今、地球上の微生物たちの声を聞くことができず、自らに持つ微生物たちの声すら聞こえない。
さらに言えば、今は必死になってその存在を殺そうとしているのではないだろうか。